粕烏の工房 Kas_garasu’s blog

モノづくりに魅了されたもの 日記や趣味の投稿をしてます

最近のポリコレについて思うこと

こんにちは!

どうも粕烏です( 一一)

 

この度、コロナの方に初めて感染してしまいました。

いや~結構きついですねこれ( ;∀;)

 

まあ、そのおかげで少し時間ができたので、今回は最近のポリコレについて思うことがあったので書いていきたいと思います

 

*ここから先にはポリコレ等の人によってはセンシティブな内容が含まれるので注意してください*

 

ゲーム業界や映像業界でポリコレが話題になってきたのは、ここ数年のことではないでしょうか?

いくつかの作品において、原作を無視した配役、唐突なLGBT表現、配慮しなかったものに対する糾弾などの記事を見るようになりました

 

不自然じゃないポリコレやテーマとしてのポリコレについて、私は止めようとは思っていません

それはポリコレの本質とは、社会の特定のグループのメンバーに不快感や不利益を与えないようしようという善意からきているものであり、それを止めるような資格は我々にないと思うからです

 

ただ、一部作品に見られる取って付けるからか作品の世界に対して不自然なポリコレや配慮しなかったものに対する糾弾に関しては、「それは違うのでは?」と思ってなりません

 

私としては、セクシャルマイノリティーに対する問題は当事者にとって外的な要因によりすぐ答えが出せるものではなく、内的要因から時間をかけて答えを出すものだと思っています

また、その答えを出す過程も不安と孤独感に包まれながら進むものだとも思っています

多くの人がどうかはわかりせんが、少なくとも私の大切な友人の姿はそう見えました

 

そう思うとき、一部作品に見られる取ってつけたためか作品の世界に対して不自然なポリコレや配慮しなかったものに対する糾弾は滑稽で嫌悪なものに見えてなりません

「この問題はこんな簡単な方法で解決できる」と提示されているような

 

そんな簡単に解決するような問題なら、彼らは、なぜあんなに苦しんだり悩んだりしているんだと

そう思えてしまいます

 

私としては、「打ちあけた後でも接し方が変わらなかったのが良かった」という友人の言葉の通り声を上げるのではなく普段通り接することが彼らの助けになるのではないかと思います

 

なので、本当に大切なのは周りの人が受け入れることであって、ポリコレをとってつけるような小細工をした作品や配慮しなかったものに対する糾弾は本当の意味で彼らのためにならないのではないでしょうか

 

そう思う今日この頃です

長くなってしまったので今回はここまで

ではまた~